メールカウンセリング関連コラム

メールカウンセリングのモデル

メールカウンセリングの事例

クライアントの訴えた人間関係の問題に対するカウンセリングに関して、インターネットが果たせる役割というのはどういう意味を持っているのか考えてみたいと思います。人間関係の悩みの事例として、自分の経歴が類まれなほど劣っていると訴える青年が登場します。
そのクライアントの心の中に、劣っている自分というものが存在して、カウンセリングを通して、もしかしたら自分はまだ成熟していないからだ。そういう感情を持っている自分はまだ成熟していない。そういう劣っている自分という自己像を作り上げているのかもしれない。あるいは、別の意味を持っていると思うかもしれません。


カウンセラー依存のある少女のは、メールは怖いというイメージが存在して、それがこの人を動かしているのですけれども、メールが怖いということの意味も、もしかしたらカウンセラーに心を惹かれるようになった。そういう自分が、過去の自分ととても違うので、なんだか怖いというものです。そういう意味かもしれないし、あるいはまた、自分の中に成長した女らしさ、あるいは、自分はどう生きるのかということを意識するようになった時に、自分の中の女らしさをどう統合していくのか、クライアントとしてどのように振る舞うのか、そういうことがテーマになっているのかもしれないと考えられます。

メールカウンセリングの検証

その辺りのことは色々、症状とか人間関係の中に表現された、心的現実が客観的な現実と離れている場合にも、カウンセリングが大切な意味を持つと考えられる。そういうことをメールカウンセリングで検証、相談して参ります。これはそのカウンセラー依存の少女が面接時に書いてくれたメールです。こういう場でクライアントの書かれたそのものを公表すると問題になりかねないので、エッセンスを損ねないようにリメイクしたものであることも申し上げておきます。

この方は、書かれたメールというのが、ちょっとカウンセリングのスタンスを変えたのか分からなかったので聞いたところ、メールカウンセリングは不慣れと言いました。よく聞くと、メールへの不信感があるので、なんか振る舞いに懐疑的な感じがします。そしてそれは、この方の心理的構造にも当たるのではないかと後になって思いました。急性期というのは、改めて自分の身体に出会うときであり、自分の生に出会うときであり、またカウンセリングと出会う時でもあると思います。
この方はカウンセラー依存という症状で見えたのですけれども、カウンセリングの中で自分はクライアントとしてどう生きるのか、そういう検討をなさり、その中で、自分の中の女らしさ、この方は大変有能な方で小学校でカウンセリングをして、悩みを抱えた子供たちに混じって活躍していた方なんですけれども、自分の中のカウンセラーらしさをどのように統合していくのか。そういう課題を掘り下げていく中で、カウンセラー依存というのは取れてしまう、治ってしまわれた。そういう事例です。