メールカウンセリング関連コラム

人間・人間関係の吟味とメールカウンセリング

メールカウンセリングとは、人間・人間関係の吟味です。
メールカウンセリングを受けるかたは、その大半が人間関係の困難さを述べています。そう述べなくても、詰めていくと、やはり人間関係の困難さにぶつかるといって過言ではありません。男と女、親と子、夫と妻、教師と生徒、上司と部下、わたしとあなた。この対になる関係は、強いきずなで結ばれる一方、戸惑い悩みとなり得るのは想像に難くありません。ときには大きな苦しみにさえなります。”あなたなんかに、わたしの気持ちは分からない”、 ”親の心子知らず”。このような心境にたびたび接します。カウンセラーからカウンセリングを受けるかたでさえ、支援者と被支援者、ときに支配者と被支配者のような関係にさえおちいり得るのです。

この、対になる異なるものどうしの関係が、通じ合い受け入れあえるのは、人間としての立ち位置においてです。”おなじ人間同士” ということです。メールカウンセリングでは、親子、教師と生徒など対になる関係を、人間関係といいます。親とはこうだ、教師とはこうだ、というとらえかたはしません。親である○○さんのありよう、教師である△△さんのありように関心が向けられます。

カウンセラーも、自分がどんな人間なのか、自分のありように関心をいだき、メールカウンセリングを受けるかたとの関係を、人間関係として心得ます。支援者と被支援者、支配者と被支配者、教える者と教わる者のような関係が強いとカウンセリングの支障になるのです。このようにメールカウンセリングは、まず人間に、人間関係に注視するのです。

ゆえにカウンセラーは、人間とはなにか。人間をどう理解するか。自分なりの見識はあったほうがよいのです。
 


メールカウンセリングにおいて人間とは、ひとことで言えば、”欲求の体系”です。人間には、自覚の有無を問わず、ああしたいこうしたいという無数の欲求が内在しています。まばたきをしたのは、眼球を保護しようとする欲求。眠くなって寝るのも欲求です。寝るのも寝ないのも、話すのも黙るのも、泣くのも笑うのも欲求とその充足活動です。どんなに起きていたくても眠ってしまえば、やはり寝たかったのです。

言うまでもありませんが、欲求はすべてが充足されるわけではありません。内在する無数の欲求には、相容れずに共存するものもあります。やせたいのに食べたい。あちらを立てればこちらが立たずです。相いれない欲求に折り合いがつけられる、落としどころが見つけられるようになることは、メールカウンセリングのはたらきのひとつです。

また欲求は、すべてが自覚されるわけではなく、とりわけ感情の発露となる心理的欲求は、自分の言動を振り返ってはじめて自覚される場合が少なくありません。なんでいらいらしているのだろう。なんでこんなに寂しいのだろう。そこに、自覚されていない欲求が、願いが宿っているのです。気づいていない自分の欲求に気づけることも、メールカウンセリングのはたらきのひとつです。