メールカウンセリングにおける「漂う意識」

メールカウンセリングという表現は日本独特のものを描いて良いと思います。これは、外国の表現としては英語でもドイツ語でも「カウンセリング」、特にカウンセリングという日本語訳にする必要はないと思います。さてカウンセラーの「かくれみ」という言葉を先ほど使いました。かくれみという言葉も独特な言葉ですね。お聞きになっただけでは何のことかイメージしにくいかもしれません。漢字としては身を隠すの意味でのかくれみです。どういう意味かと言うと先ほど医師としての控えめな姿勢、分析家としての分別、セラピストとしての控えめな姿勢という言葉で表現したこと、つまりカウンセリングはあくまでクライアントが自らを洞察し自分の道を歩むことを援助するだけであって、その際にカウンセラーの個人的価値観を押し付けたりカウンセリングの理想に向けてカウンセラーの願望に沿って教育しようとしてはならないという意味で、カウンセラーは自分の個人的なところに関しては隠しているべきである、ということを表現する言葉です。
自分の個人的部分は隠れ蓑(みの)の下に置くというニュアンスでカウンセラーのかくれみという使い方がされます。このカウンセラーが自分の個人的なところは隠れ蓑の下に置くという視点に代表されるフロイト的なカウンセリングは精神分析学派の中においても次第にセラピスト自身のパーソナリティそのものを重視して行く方法、あるいは言葉だけでないノンバーバルなコミュニケーション、あるいはより人間的、より柔軟なカウンセラーの姿勢を重視していくように変化していきました。そのようなカウンセリング形態とカウンセラーが控えめでいることの重要性を指摘していたことは、受講生の皆さんにぜひ理解していただきたいと思います。

メールカウンセリングの「開かれた姿勢」

フロイトにおける対話的協力関係(カウンセリング関係)ということをお話しした時にカウンセラーの受動性という言葉をあげました。 じつはこの脈絡において今回のテーマ、「カウンセラーは耳を傾ける」にとって非常に大事な視点を拾い落していました。それはカウンセラーがクライアントの語りに耳を傾ける際の姿勢とか意識のあり方についての言及です。これは1912年の論文「精神分析治療における医師へのアドバイス」の中で書かれた視点ですが、心理カウンセリングを行おうとする者にとって非常に示唆に富むものです。

研修生の皆さんにはぜひ心に留めておいてください。フロイトはクライアントの話に耳を傾けるにあたって、カウンセリングはどのような者に対しても「同等に向けられる漂うような注意のあり方」を推奨しています。どのような者に対しても同等に向けられる漂うような注意のあり方です。このフロイトの言葉は日本語訳として「平等に漂う注意」とされることが多かったのですが、そこに込められた思いを考えてわたしは、「どのようなものに対しても同等に向けられる漂うような注意のあり方」という日本語訳の方がフロイトの意を汲んでいると思っています。ちなみにドイツ語の言語はメール資料に記載しましたので参照してください。

メールカウンセリングにおける意識の集中の仕方

クライアントの話を聞くにあたってカウンセリングでは意識を集中しない漂うような注意の向け方で、いわば「ぼーっとした態度」が大切です。何かに集中すると漏れるものが出てくるというわけです。さすがフロイト先生だとわたしは思います。メールカウンセリングや心理療法において、カウンセラーは確かにクライアントの語ることに耳を傾けるのですが、耳の傾け方は意識を集中したあり方ではなく漂うようなあり方です。このような姿勢はクライアントの意識だけでなくクライアントの無意識や、カウンセラー自身の無意識にも「開かれた姿勢」と表現することもできます。そして、このような姿勢はフロイトとは途中から別の道を歩くことになったユングにおいても非常に大事にされています。意識を集中していると確かに限定したところに関してはとてもよく見えることになりますが、全体の脈絡や意識されてないところ、身体感覚や直感、かあるいは個人を超えた自然や宇宙との繋がりといったところは逆に聞こえてこない、見えないことになってしまいます。心理カウンセリングや心理療法では、クライアントはこれまでの意識や努力だけではやっていけないことに遭遇して困難に陥っているので、クライアントやカウンセラーの意識の領域だけにこだわらない「開かれた姿勢」が要請されていると理解しください。

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